こんにちは、こんばんは、某人間より親しみを込めて。

今回は、映画ヴィオレッタのレビューです。
(原題:My Little Princess) 

  

公開:2011年
監督:エヴァ・イオネスコ
出演:アナマリア・ヴァルトロメイ、イザベル・ユペール



あらすじ


1970年代、フランス。

少女ヴィオレッタは、曽祖母と画家である母アンナとの3人で暮らしているが、アンナが家にいることは極稀であった。

そんなある日、アンナが知人の芸術家にカメラを貰って帰宅。

そして、後日、アンナはヴィオレッタを自身のスタジオに招き入れる。

光は差さず、部屋中に鏡が張られ、髑髏など不気味な小物が所狭しと並ぶスタジオ。

そこでアンナは、ヴィオレッタをモデルに写真を撮り始め、目線やポージングに至るまで細かく指示を出し、またヴィオレッタ自身もそれを楽しんでいた。

そして、写真家とそのモデルとして2人の日々は続いていくが、日を重ねるごとにアンナはヴィオレッタにガーターベルトを着させたり、開脚を求めたりと、その指示は過激になってゆく。

しかし、アンナの写真は、徐々に芸術達の評価を得始め、遂にはアップダイクから写真を撮って欲しいと依頼が入る。

そして、アンナはヴィオレッタを連れロンドンへ向かうが、そこでの撮影中、アンナはヴィオレッタにアップダイクの前で服を脱ぐように指示を出す。

それに対し、ヴィオレッタは、「男の前では脱ぎたくない」と猛反発。

そして、この事件を機に母アンナと娘ヴィオレッタの間に、修復出来ない亀裂が入り始める・・・。 

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感想 ネタバレなし


1550円

(某人間ブログの採点方法に関してはこちらの記事に参照)



親子のようで親子ではない親子


「史上最年少でPLAY BOYの表紙に掲載された少女」


その衝撃的なキャッチコピーに惹かれ、何の下調べもなしに本作を鑑賞しました。

この物語は実話に基づく話で、なんと本作の監督を務めたエヴァ・イオネスコこそヴィオレッタ本人。

そして、彼女はこの作品を撮り終えた後、母、イリナ・イオネスコに対し、損害賠償と写真の返還を求めた訴訟を起こしています。

鑑賞前にこの知識がなかった私は、何をどう考えたのか、少女が有名雑誌の表紙を飾るまでのサクセスストーリー(?)的な話を想像してしまったのですが、勿論、そうではありませんでした。

エヴァとイリナの写真がどのような過程を経て、評価されていくのか、という部分の描写は、かなりあっさり目で、本作のメインテーマは、言わずもがな「親子」です。

実にありふれたテーマですが、この二人の関係は、かなり特殊複雑。

お互いに愛情を注ぎ合い、時に嫌悪感を募らせ、また、仕事仲間のようで、女友達のようでもある二人の関係。

そこにエヴァが少女から女へと成長していく時期と、2人が有名人となっていき、それぞれが自身の意思だけで行動を決定出来ない状況が重なり、2人の関係は一概に「正しい」とも「間違っている」とも言い切れない複雑な様相を見せていきます。
 
その上、舞台となる時代は、現代芸術が振興し、その裏で表現の自由と倫理観がせめぎ合った時代でもあり、この2人もその潮流に巻き込まれていきます。

様々な要因が重なり合い、複雑を極める2人の関係の中にあるありふれた「親子」の物語が本作の見所です。



未熟で妖艶なフレンチロリータ


本作を語る上で外せないのは、アナマリア・ヴァルトロメイ演じるヴィオレッタの持つロリータの背徳的な魅力でしょう。

オーディションで、この役を勝ち取っただけあり、その実力は並外れたものでした。

少女の持つ未成熟性と大人の女性が持つ妖艶さを兼ね備えており、また、少女が思春期を経て、徐々に女へとなっていく様子も実に上手く演じていました。

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物語は全体的に平坦ではありますが、私が最後まで飽きずに鑑賞出来たのは彼女に魅了されてしまったことは、間違いありません。

危うく、自身の倫理観すらも揺らぎそうになる程、蠱惑的(錯乱)

また、画としても秀麗な彼女は、フランス映画らしい「霞感」「極彩感」を持つ映像と相性が良く、その一部として、本作を非常にセンセーショナルな作品に昇華しているとも思います。


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感想 ネタバレ有り

母・アンナの感情


某人間的に作中で最も意思が掴みにくかった人物は、ヴィオレッタではなく、アンナでした。

言ってしまえば、ヴィオレッタの感情はシンプルで、母親との触れ合い、大人の真似事でモデルを始めたものの脱ぐ事への抵抗、平凡への憧れ、自身を所有物のように扱う母への嫌悪が次第に膨らんでいった、だけです。

しかし、アンナは違い、本気で娘を愛しているように振る舞うときもあれば、自身の商売道具として、娘を扱うときもあり、また、老いにより美貌を失いつつある自身の代用品のように扱うこともあれば、平凡への抵抗感から娘に非凡であることを叩き込んだりと、1つ1つの言動に多くの意味を感じさせることが多く、ラストシーン、ヴィオレッタに面会に行った場面でも本気で我が子の顔が見たくて訪れたのか、もう一度、商売道具として自分の元へ引き戻すために訪れたのか、某人間には判断出来ませんでした。

そういう意味では、話の軸に位置するのは、ヴィオレッタではなく、母アンナの方なのでは、と私は思います。

原題もMy Little Princessとアンナを主語にしたタイトルになっています。

本作、ヴィオレッタに視点が行きがちになってしまいますが、アンナに感情移入すると、全く違う世界が見えてきます。

例えば、アンナが撮るエロスと死を意識させる写真を少女をモデルに撮影したことも父に犯され、人体恐怖症となった彼女が撮ったと考えると、自身のタブー、トラウマへの挑戦のように見えて感慨深いものがあります。 



曖昧にあふれる作品


ネタバレなし感想で前述したように本作は、2人の関係の良し悪しを一概に言い切れない、答えのない作品です。

それを何故か、と考えた時に私は、この物語、全てが「曖昧」で、境界線の真上に立っている者たち、時代が、作品を構築しているからではと考えました。

前述した通り、アンナの娘へ対する感情は、愛とも仕事とも取れる曖昧な部分があり、また、時代も倫理と芸術が不確かな曖昧な時代であり、ヴィオレッタ自身も少女から女になる過渡期で、思考、感情ともに不安定な曖昧な時期にあります。

本作では、確かな物事というのが、曖昧な物事に比べると少なく、それが結果、2人の関係の在り方の是非を曖昧にしている、と思います。

しかし、その曖昧さは欠点ではなく、当事者が監督、脚本を務めたことによる「リアルさ」ではないでしょうか。

この作品がフィクションであれば、もう少し作品に捉え所があり、是非の答えも容易に見つけることが出来たのでしょう。

しかし、「リアル」だからこそ、この作品全体に複雑な曖昧さが漂っており、それが作品の色になっていると思います。 



監督エヴァ・イオネスコの意図


では、監督エヴァ・イオネスコは、何故、この作品を撮ったのか。

その答えは、ラストシーンで、施設に面会に来た母からヴィオレッタが逃げたシーンにあると思います。

あのシーンは、「当時の私は母から逃げました」ということを表すだけのシーンではなく、エヴァの「現在の感情」を作品に落とし込んだシーンなのでは、と考えました。

前述した通り、本作を撮り終えた後、母に対し、訴訟を起こしたことからエヴァは未だに母アンナには、嫌悪感を抱いていることは容易に想像出来ます。

また、言わずもがな、ラストシーンは、作品の中で最も大事な場面で、一番伝えたい内容を表現する場面でもあります。

以上のことから、エヴァがこの作品で観客に最も伝えたかったことは、「私は未だに母を許していない」「あの頃の傷は癒えていない」という意思表示なのではないでしょうか。

つまり、この作品は、あの頃のエヴァではなく、現在のエヴァの感情を観客に
そして、母イリナに伝える為の大掛かりな母への反抗のようなものです。

そう考えると、不謹慎ながら、
エヴァ監督が少し可愛く見えて来ました。

流石、ロリータ!!!(錯乱)

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